東京地方裁判所 平成6年(ワ)24996号 判決 1995年12月21日
原告
砂田久美
同
砂田早苗
右法定代理人親権者母
砂田久美
右両名訴訟代理人弁護士
山﨑司平
同
髙木一嘉
同
菅沼博文
被告
住友海上火災保険株式会社
右代表者代表取締役
小野田隆
右訴訟代理人弁護士
溝辺克己
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 被告は、原告らに対し一〇〇〇万円及びこれに対する平成七年二月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用の被告の負担及び仮執行宣言
第二 事案の概要
一 本件は、交通事故により死亡した男性(当時二九歳)の遺族である原告らが、任意保険会社に対し、自家用自動車総合保険契約約款中の搭乗者傷害条項に基づき、死亡保険金を請求した事案である。
二 争いのない事実
1 本件交通事故の発生
訴外砂田威(以下「亡威」という。)は、次の交通事故(以下「本件事故」という。)に遭い、平成五年一月六日肋骨多発骨折に伴う肺損傷を原因とする出血性ショックにより死亡した。
事故の日時 平成五年一月六日午後四時一五分ころ
事故の場所 東京都板橋区高島平四丁目二三番先路上(別紙現場見取図参照。以下、同図面を「別紙図面」といい、同道路を「本件道路」という。)
被害者 亡威
被害車両 普通貨物自動車(練馬四六ね四〇六五)
加害者 訴外大屋清司(以下「大屋」という。)
加害車両 普通貨物自動車(所沢一一あ七〇八七)
事故の態様 大屋が加害車両を運転し、本件道路を進行中、本件事故現場において、被害車両の右後部付近に接触させ、さらに車体を擦る形で進行を続け、付近にいた亡威に衝突させた。
2 自動車保険契約
(一) 訴外株式会社ケミカル・サービス・スナダ(以下「訴外会社」という。)は、平成四年五月一日被告との間で、被害車両を被保険自動車、保険期間を平成四年五月九日から平成五年五月九日午後四時までとし、搭乗者傷害保険金額一名につき一〇〇〇万円とする自家用自動車総合保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。
(二) 本件保険契約の普通保険約款(以下「本件約款」という。)第四章搭乗者傷害条項第一条には、被告は被保険自動車の「正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者」(被保険者)が被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により身体に傷害を被ったときは、搭乗者傷害条項及び一般条項に従い、保険金を支払う旨、また、同第四条には、被保険者が傷害の直接の効果として、事故の発生の日から一八〇日以内に死亡したときは、被保険者一名ごとの保険証券記載の保険金額の全額(本件においては、右(一)のとおり一〇〇〇万円)を死亡保険として被保険者の相続人に支払う旨、それぞれ規定されている。
(三) 本件約款第四章第一条にいう「搭乗中」とは、一般に、運転席、助手席、車室内の座席等に乗るために、手足または腰等をドア、床、ステップまたは座席にかけた時から、降車のために手足または腰等を右用具から離し、車外に両足をつける時までの間をいうと説明されている。
3 原告らと亡威との関係
原告砂田久美は亡威の妻であり、原告砂田早苗は亡威の子である。
三 本件の争点
本件の争点は、亡威が本件事故当時、被保険自動車である被害車両に「搭乗中」であったといえるかどうかである。
1 原告の主張
本件事故は、亡威が被保険自動車からいったん降車して施錠した後、再び乗車する目的で被保険自動車の右サイドミラーのやや後方に佇立し、鍵穴に鍵を差し込み、開錠して引き抜いた瞬間か、またはその直後に発生したものである。
前記二2(三)の「搭乗中」についての一般的解釈は、あまりに形式的概念的であって合理性がなく、むしろ、本件のように、被保険者が被保険自動車に搭乗する意図ないし目的を有して搭乗しようとしていることが客観的に認められ、かつ、それがドアに手をかける行為に時間的行動的にきわめて接近している場合には、たとえ被保険者が被保険自動車に直接接触していなくても、なお「搭乗中」と考えるのが合理的である。
2 被告の認否及び反論
本件事故当時、亡威が被保険自動車に乗車しようとしていた状況及び原告主張の「搭乗中」の解釈については、いずれも争う。
搭乗者傷害保険の要件として、「正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者」が要求されている趣旨は、正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗していなければ、被保険者の人身損害発生の危険が著しく高くなり、保険保護の対象として扱えなくなることによるものであるうえ、このことは搭乗者傷害保険の本旨が「正規の乗車用構造装置」の有する一般的安全性に着目し、右装置に搭乗中の者の平均的危険を担保することとも関連しており、「搭乗中」についての一般的解釈は、これらの基礎的認識に由来するものであって、「搭乗中」の解釈に当たっては、右約款の趣旨に従い、車両搭乗中の平均的危険を前提として、保険保護の対象となるかどうかを検討すべきである。
ところが、本件では、亡威が被保険自動車に対しどのような姿勢や向きでいたかは不明な一方、亡威が被保険自動車の車外の右サイドミラー付近に立っていたことは明らかであり、いずれにしても亡威が「正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者」に該当しないことは明白であるから、保険保護の対象とはなりえないというべきである。
第三 争点に対する判断
一 本件事故の状況等について
1 証拠(甲二、六ないし一〇、一一の1、2、一二ないし一八、乙一ないし五、証人大屋清司、同奥山清次、同森田利二)に前記争いのない事実を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 本件事故現場付近の状況は、別紙図面のとおりである。
本件道路は、大門方面から高島通り方面に向かう片側二車線の直線道路であり(各片側幅員6.50メートル。途中から、道路中央部分に導流帯が設置されているため、高島通り方面を進行すると、第一車線、第二車線とも次第に車線が挟くなっている。)、車道両側に幅3.40メートルの歩道が設けられている。
本件道路の事故現場付近には、別紙図面の④地点から⑤地点の間に加害車両と被害車両の破片が飛散し、亡威の左右の靴と被害車両のエンジンキーが落ちていたほか、本件道路の車道から1.60メートルの路面上に長さ3.90メートルの引きずり痕が認められたが、スリップ痕は認められなかった。
本件事故当時、事故現場の高島通り方面には、駐車車両が三台あり、先頭のローソン新高島平駅前店の前に被害車両が駐車していた。
(二) 被害車両(トヨタ・ハイエース)は、全長4.43メートル、全幅1.69メートル、全高1.935メートルのバンであり、本件事故により右後部バンパー、ウインカーランプが破損したほか、右側面ボディーが後部から前部にかけて凹損していたが、ガラスは破損していなかった。また、本件事故による被害車両の右フロントミラーの損傷はなく、本件事故当時、右ミラーは、たたまれていた。
加害車両(三菱・キャンター)は、本件事故により左前部バンパー、フェンダー、ウインカーランプ、サイドミラー等が破損し、荷台左側面に擦過痕が生じていたほか、フロントガラスの左側(地上高約1.4メートル)が加害車両左側端から約五〇ないし六〇センチメートルのところを中心に大きく割れていた。
(三) 亡威の身長は一七五センチメートルであり、亡威の死体には、頭部(左こめかみ、右前額、右下眼瞼、下顎左側に各表皮剥奪群、頭頂部に腫脹)、左上肢(肘部を中央に外側三〇センチメートル長の皮膚変色、その最外側に面的表皮剥奪を伴うが骨折はない)、背部(中央に斜めに走る四条のタイヤ痕)、右上胸(皮膚変色と表皮剥奪)、右上肢(外肘部に面的表皮剥奪、足背に表皮剥奪)、下肢(上下方向を主とする線上の表皮剥奪と右足内側の擦過打撲傷)、に各外傷が認められ、さらに肋骨多発骨折、肺損傷が生じていた。
亡威の死体を検案した東京都監察医渡辺博司によれば、左上肢の傷は、衝突時に防御の形に挙上していたものと思われるとの意見である。
(四) 大屋は、本件事故当時、加害車両を運転し、大門方面から高島通り方面に向かい、時速約四〇キロメートルで第二車線のセンターライン寄りを進行中、別紙図面の①地点で右前方の歩道に脇見をし、同図面の②地点で再び前方に目を戻したところ、その間、加害車両が左方に斜行していたことに気づくとともに、第一車線内に進入した同②地点で、進路前方約9.15メートルに被害車両を発見したが、同図面の③地点において、被害車両の左後部に加害車両左前部を衝突させ(衝突地点は同図面のX1)、そのまま被害車両の右側面をこすりながら進行した後、同図面の④地点で、同図面の付近にいた亡威を発見すると同時位に同人と衝突し、直ちに急ブレーキをかけたが、亡威を加害車両の左前輪で轢き、加害車両は同図面の⑤地点で停止し、亡威は同図面の地点に歩道側に頭を向け、仰向けに倒れていた。
大屋は、当初、捜査段階において、亡威が被害車両の前方から別紙図面の地点に急に出て来た(衝突地点は同図面のX2)と供述し、その後、衝突する寸前の亡威は被害車両の右前部ドアの前に立って車に乗り込もうとしていたと述べるが、本人尋問の際、いずれの点についても供述を翻し、亡威がどこにどのような向きで立っていたのかわからないと述べている。
(五) 訴外川瀬あや(以下「川瀬」という。)は、本件事故当時、事故現場北側の横断歩道を高島平三丁目方面から同四丁目方面に向かい自転車で横断中、衝突音がしたので別紙図面の甲地点で停止して左方を見たところ、加害車両が被害車両の右側面をこすりながら進行し、同図面のX2で被害車両右側の運転席付近にいた亡威を回転させながらはね飛ばした後、再度亡威を轢いたところを目撃した。その際、川瀬は亡威が被害車両の方を向いており、衝突の瞬間、加害車両の方を向いたような気もしたが、具体的な姿勢等はわからなかったと述べている。
(六) 亡威は、実父の砂田功が経営する訴外会社の役員として勤務し、本件事故当日、営業に使用していた被害車両で得意先回りをした後、帰社する途中、本件事故に遭ったものであり、亡威は、いつもであれば、帰社する前に必ず訴外会社に電話で連絡を入れていたが、本件事故当日、訴外会社への電話はなかった。なお、亡威は、右ききであった。
本件事故当時、被害車両には亡威のスーツの上着と、納品書等の在中した黒色カバンが載せられていた。
(七) 本件事故の刑事事件の捜査を担当した警視庁高島平警察署勤務の奥山清次巡査部長(当時)は、実況見分調書(甲八)を作成するに当たり、加害車両の衝突箇所(左前部の凹損部分)、本件事故現場路面のひきずり痕に大屋の供述と川瀬の供述とを総合して、亡威が立っていた位置を別紙図面の地点付近と判断し、その旨同調書に記載した。
2 右各事実によると、亡威は、本件事故当時、被害車両の車外の右フロントミラー付近の別紙図面地点付近に立ち(当事者間に争いがない。)、被害車両の鍵を手にしていたことを認めることはできるが、その際、亡威の身体が何らかの形で被害車両と接触していたことまでは認めるに足りない。
かえって、前記認定事実によれば、亡威は、加害車両進行方向左側の歩道に頭を向けて倒れていたこと、大屋が亡威の存在に気づいたのと衝突とはほぼ同時位であり、その間に亡威が立っていた位置を変えるほどの時間的余裕はなかったと考えられること、大屋が右衝突後、ハンドルを右に切った形跡はなく、その後加害車両の左前輪が亡威を轢いた事情はあるが、衝突地点は概ね前示ひきずり痕(但し、亡威の身体のどの部分により形成されたかは判然としない。)の延長線上付近にあるものと考えられること、加害車両が被害車両の右側面をこすりながら進行する途中、衝突により亡威を前方にはね飛ばしたのに被害車両の右フロントミラーに損傷がないこと、加害車両のフロントガラス左側が車体左側端から約五〇ないし六〇センチメートルのところを中心に割れており、亡威の左上肢の外傷は、亡威の死体を検案した監察医によれば、右傷は衝突時に亡威が防御の形に挙上していたものであるとの意見であること(同意見は、亡威の身長から推認される同人の肘の高さ及び加害車両のフロントガラスの損傷の地上高とも符合しており、信用できる。)等の事情が窺われ、これらを総合すると、亡威は、本件事故当時、被害車両の方を向き、被害車両から約五〇ないし六〇センチメートル離れた別紙図面のX2地点付近に被害車両の鍵を手にして立っていたものと推認できるのである。しかし、右事実以上に、原告ら主張のように、亡威がドアの鍵穴に鍵を差し込み、開錠して引き抜いた瞬間であったことなど、本件事故時の具体的挙動については本件証拠上これを確定することはできない。
この点、証人森田利二によれば、同証人が亡威の遺留品を高島平警察署に取りに行ったとき、被害車両の運転席側ドアの鍵は開いていたことが認められるが、被害車両は同警察署の庭に運搬されて、写真撮影されたのであって(甲九)、本件事故後警察において本件道路上に落下していた鍵を用いて開錠したことが十分に考えられるし、さらには、亡威が施錠することなく本件道路に被害車両を駐車させたことも考えられるのであって、右事実から亡威が開錠して鍵を引き抜いた直後に本件事故が発生したものと推認することは困難である。
二 そこで、右の事実関係をもとに、亡威が本件保険約款第四章第一条の「正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者」に該当するかどうかについて検討する。
1 「正規の乗車用構造装置のある場所」とは、一般に、乗車人員が動揺、衝突などにより転落または転倒することなく、安全な乗車を確保することができるような構造を備えた運転席、助手席、車室内の座席をいうものと解され、また、「搭乗中」とは、これらの場所に乗るために、手足または腰等をドア、床、ステップまたは座席にかけた時から、降車のために手足または腰等を右用具等から離し、車外に両足をつける時までの間をいうものと解されるから(一般的説明の内容については、前記のとおり当事者間に争いがない。)、右のような「乗車用構造装置のある場所」から離れ、全身が車外に出ている状態の者は、「正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者」に該当しないものと解するのが相当である。
2 これを本件についてみると、前記のとおり、亡威は、本件事故当時、被害車両に乗るために手をドアにかけたものと認めるに足りないのであり、逆に、本件道路の高島通り方面の第一車線に被害車両を停止させ、降車して同車両に接触することなく立っていたことが推認されるのであるから、亡威は、本件約款第四章第一条の「正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者」に該当するとはいえないこととなる。
この点、原告らは、従来の一般的解釈は、あまりに形式的概念的であって合理性がなく、被保険者が被保険自動車に搭乗する意図ないし目的を有して搭乗しようとしていることが客観的に認められ、かつ、それがドアに手をかける行為に時間的行動的にきわめて接近している場合には、被保険者が被保険自動車に直接接触していない場合でも、「搭乗中」と考えるべきであると主張するが、搭乗者傷害保険は、その規定上、本来被保険者が被保険自動車に「搭乗中」の場合に適用されるものであって、「正規の乗車用構造装置」の有する一般的安全性に着目し、右装置に搭乗中の者の平均的危険を担保することを本旨とする点に鑑みると、被保険者が被保険自動車に搭乗している場合を前提とし、開錠後、鍵を引き抜いた瞬間を搭乗中と解せないわけではないものの、本件のように被害者が車外にいてその挙動が明らかでない場合にまでこれを適用することはできないものというべきであるから、原告らの主張は、採用することができない。
3 そうすると、被告は、本件保険約款第四章第一条の規定により搭乗者傷害保険を支払う義務を負うものではないというべきである。
第四 結語
以上によれば、原告らの本件請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官南敏文 裁判官竹内純一 裁判官河田泰常)
別紙<省略>